新東京 COTTON CLUB公演ライブレポート

 グラスや食器の触れ合う音、さざなみのような会話……、それらの間を縫いながら、まるでゆったりした足取りで散歩するようなビートが空間を満たしていく。そこにベースが刻まれ、ピアノが灯ると、まるで煌めく都会の夜の中を歩いているような感覚になる。とても自由だ。心地よい風が身体をすり抜けていくみたいに。

「今日はいつもとひと味違う新東京をお楽しみください」(杉田・Vo)

 5月最後の金曜日。丸の内にあるCOTTON CLUBのステージに新東京の4人の姿はあった。初のフルアルバム『NEO TOKYO METRO』をリリースし、全国6都市を巡ったツアー「NEOCRACY」ではLIQUIDROOMをソールドさせた彼らにとって、180席というキャパシティは、このライブがいかに貴重なものかを物語っている。現に、臨時席を設けてもなおこの日のチケットを希望する人は後を絶たなかった。

 キャパだけではない。ここがCOTTON CLUBであるということを抜きに、この日の特別さは語れないだろう。

 1920年代、デューク・エリントンのバンドなどが活躍した禁酒法時代のニューヨーク、ハーレム地区にあった伝説のナイトクラブの系譜を継ぐ店として2005年、東京・丸の内に誕生したのがCOTTON CLUBだ。以来、海外国内問わず、良質な音楽を最高の料理とお酒とともに提供し続けている名店だ。だから、いわゆるライブハウスやライブホールとは趣がずいぶん異なる。

 そんな特別な空間で、新東京がどんな音楽を披露するのか――。彼らの出演が決まって真っ先に思ったのは、間違いなく合うだろうな、という確信めいた予感だった。ボーカル、キーボード、ベース、ドラムというギターのいない編成から紡がれる音楽は、特定のジャンルに寄りかかるものではなく、彼らのパッションやスピリットをいかに音に込めるかということを第一義にしているピュアなものだ。そんなふうに言うと、なんだか精神論のようにも聞こえてしまうかもしれないが、パッションやスピリットといったある種つかみどころのないものは、音楽に対する深い洞察力や高い演奏力という確かなものがあってはじめて注ぎ込めるものなのだ。あたかもそれは都市のように、高層ビルが立ち並び、人々が溢れるためには固い地盤がなければならないのと同じことだ。

 そして、そのような音楽を「ジャズ」というのではないだろうか。新東京の音楽がジャズだ、というカテゴライズをしたいのではなく、彼らの音楽が新鮮で猥雑で緻密でクールでホットで分類が不可能であるからこそ「ジャズ」だという言い方も可能だということだ。つまり、新東京はその始まりから本当の意味でオリジナルな存在だということが、COTTON CLUBへのブッキングで改めて証明されたような気さえする。

 夜の都会を徘徊するドラムとベースとピアノのアンサンブルは階段を駆け上がったり駆け降りたりするようなピアノのフレーズに導かれて「ユートピアン」へと続く。余韻を甘噛みするようなエンディングから次の「The Few」のイントロをキーフレーズにループさせながらプレーヤー個々のアドリヴでエッヂを効かせたセッションに突入していく。その上に乗る杉田のMCも含めて、とことんまで洗練されているようにも、確信犯的なズレをひたすら楽しんでいるようにも思える。

 ライブごとにその姿を変えていく印象のある楽曲「sanagi」は、“Organic Version”をベースに、さらにアレンジを加えたものになっていた。杉田の憂いを含んだ揺蕩うようなボーカルの魅力を十分にフィーチャーしながら、全体のテンポを原曲よりもグッと落とし、あえて隙間を作るように各パートが出入りしながら鳴動する様子は、このバンドがひとつの生命体でもあるかのようだった。グルーヴというものの正体が、あの時あの場所であの曲を聴いた――という“この夜の記憶”として身体にインプットされる、そんな体験だった。

 ここから、「Perrier」「踊」「さんざめく」と、アルバム『NEO TOKYO METRO』の中核を成す曲が続けて披露された。特に「Perrier」は、この後のショートMCでも杉田が言っていたとおり、初めてライブでパフォーマンスした曲となった。グラスの中で不規則に、かつ連続して弾ける泡の様子そのものを音楽にしたと言ってもいいこの曲は、各パートがぶつかり合い、そこに生じるわずかな亀裂をいかに美しく響かせるかという難易度の高い楽曲でありつつ、その繊細な音像を隅々まで堪能するためにはライブハウスよりもCOTTON CLUBのような空間がぴったりだ。

 COTTON CLUBだからこそ可能だったトライといえば、なんと言ってもグランドピアノを使った演奏ができるということだ。田中利幸(Key)がグランドピアノの前に移動し、彼らの代表曲とも言える「Cynical City」、そして「36℃」をこの日限りのアレンジでパフォーマンスした。原曲の軽快さは抑え目に、しっとりとした演奏がいつもと違う衣装を纏ったような印象ではあるのだが、面白いと思ったのは、そうしたトーンのアレンジにも関わらず、バンドから放たれるエモーションがより熱さを増していたことだ。「Cynical City」での曲終わりの杉田のアドリヴなど、新東京の新たな一面も感じさせる特別感があった。ちなみに――、本編終盤のMCで杉田が打ち明けたのだが、グランドピアノを使用した曲のみオーディエンスの写真撮影を許可する予定だったのだとか。ところがパフォーマンスに集中するあまり、それをすっかり忘れていたということで、田中がわざわざグランドピアノの前に座り直して、バンドが熱い演奏をしている風なポーズをとり撮影タイムが設けられるという一幕があった。

 大蔵倫太郎(Ba)と保田優真(Dr)のデュオによる掛け合いで会場はさらなる熱気を帯びると、その熱は「NTM」へ注がれる。持ちうる限りの情熱を、あらゆる技巧を駆使し緻密に端正に表現していく。新東京の非凡なところは、何と言っても型にハマらずに演奏をコントロールできるところだ。矛盾したことを言っているようだが、例えば熱さと冷たさ、大胆さと繊細さといった、常にアンビバレンツであることが彼らの表現をより深いものにしているのは間違いない。

 目まぐるしく風景が変わるような「Escape」から「透明」のイントロへ、さらにドラムのフィルに続いて「Waste」へとシームレスに切り替わっていく。ここに至って、新東京という架空の音の街の中で完全に迷子になっている自分がいることに気づく。歩いて来た道を振り返れば、建物や街路樹や道路はさっきまでと姿形を変えて、もう二度と元には戻らない。けれど不安は一切ない。そうした混乱が逆に心地よい。ここは東京丸の内のど真ん中、そして私は地図にないエキサイティングな街・新東京の内部にいる。大蔵のベースソロが空間を捻じ曲げる。深い霧が立ち込め、視界が奪われる――「Heavy Fog」のパフォーマンスへ移行する。

 「Gerbera」「曖させて」で締め括った本編を終え、再びステージに登場すると、アンコールは総立ちになったオーディエンスに迎えられた。拍手と歓声に応えるようにインプロヴィゼーションからスタート。ベース、ドラム、キーボードの順でソロを回していく。さらに杉田も加わってファンキーなフレーズをリフレインさせると「Cynical City」へ。なお手を緩めないバンドは曲間にも怒涛のソロ回しを展開する。ラストは「Morning」。ここまで積み上げてきた巨大な都市を一気に破壊するかのようなアンコールのパフォーマンスは次なる物語への序章だ。7月には「FUJI ROCK FESTIVAL 2024」への出演、そして11月24日(金)にはZepp Shinjukuでのワンマンなどが決まっている。めくるめく新東京の世界は着実に広がり、深まっている。

 会場を出て煌めく夜の丸の内を歩いていると、耳や皮膚に残った彼らの演奏が街を塗り替え、時間を巻き戻していくような錯覚をおぼえた。心地よい風が身体をすり抜けていった。

Text:谷岡正浩
Photo by 工藤泰斗